思いやりって何だろうと考える
自分を不快にする出来事が起きるとまず自分がすることは
何で?と自分が思ったようにいかなかったことにいらいらして
それを引き起こした自分や、相手を責める、時には神様にも
どうしてこんなことを与えるの?と文句を言ってみたり。
でも、思うようにいかないことも起こるべきして起こっていて。
特に相手を責めている自分の思考に気づいたとき、いろいろ
考えをめぐらせて、どういう捉え方が自分には心地が良いかを
考えてみる。2,3アイデアが浮かんで、一番相手をそのまま
受け入れているな、と自分で感じた方向へ行動を取ってみる。
すると、何よりも自分自身の心が気持ちがよく、ハートは見る見る
開いていく。どしゃぶりの雨までやんでそとは晴れてきた!
日本人って本当にいろいろたっくさんのルールを持っていて自分や
人をしばりつけている。本当にめんどくさい人種だ 笑
でも、日本人に生まれ、ここカナダに住み、違う文化や習慣で
生活しているのにも意味があり、人種の違いにいらいらするのではなくて
そういう違う習慣も理解して受け入れていくことで、自分の古い習慣である
もういらないルールを客観視し、手放していけるのかもしれない、と思った。
そして、本来の自分の姿に近づいていく。自由な世界に!
自分の持っている慣れ親しんだルールに疑問を持ってみて、本当にこれは
持っている価値があるのか?と向き合ってみる、するとそれが相手への
思いやりでもなんでもなく、自己防衛のために守り続けているということに
気づく。そんなもの、もういらない。
私たちはそんな風に自分を守らなくてもすでに愛され、守られている。
それよりも自分を、人を、丸ごと受け入れられる思いやりを持つことのほうが
ずっとずっと私たちを幸せに導いてくれると思う。
思いやりはあるがままを受け入れようという心の状態から自然に生まれるもの。
ハートが開くのも、その結果として自然に起こることのような気がする。
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